ホール企業へ就職を決断したスロプロ

ホール企業へ就職を決断したスロプロ

関西の大学を卒業してバーテンダーの仕事をしていたが、いつしかスロプロの道に進んでいた。
いわゆるピンプロで、単独活動をしていた。

勝率を上げるためには、ありとあらゆる情報集とデータ分析は欠かせなった。
雑誌イベントも情報収集源の一つで、そこから店の信頼性を見極めた。

朝は抽選に並ぶので、早朝に自宅を出て目的のホールへ向かった。
見事6をつもれば閉店まで粘る。日当2万円を目指し、ほぼ毎日“出勤”した。終電に乗り、自宅近くで遅い夕食を取り、翌日に備える。
連日12時間稼働。これが毎日となると結構過酷な日々である。それでも、勝てる頃は月でプラス100万円ほど稼いだこともあった。

ところが、段々稼げなくなった。
とても割に合う商売ではない。行く先々で顔を合わせるピンプロと組んでノリ打ちを始めた。出玉を共有すれば負けを抑えられるからだ。
相手は30代前半だが、ピンプロ歴16年の猛者だった。中学生のころからスロットを始め、高校も進学せずにスロット一筋の人生を送っていた。
ノリ打ちを始めて1年あまり。先にスロプロから足を洗ったのは16年の猛者だった。トレードマークだった腰まで届きそうなロン毛をバッサリと切り、不動産会社のセールスマンへ転身した。
再びピンで活動するようになるが、将来性のない仕事に見切りをつける時が来た。

人の紹介から東北で除染作業をしている会社の事務職の話が転がり込んできた。
渡りに船で福島へ引っ越した。仕事上必要なワードやエクセルもこの時初めて覚えた。何もかもが新しい。やる気に燃えた。
寮に入った。会社の仲間から誘われたが、好きな酒もスロットもすべて断った。仕事を覚えることの方が楽しかった。
しかし、除染作業はほぼ終盤を迎えており、半年余りで除染の仕事そのものが終わり、会社も解散となった。
仕事を誘ってくれた役員は東京へ戻り、派遣型の風俗の仕事を始める。大阪へは戻らずにその仕事を手伝うことにした。風俗嬢を送迎するドライバーの仕事に就いた。
こんな仕事も一生続けられるものではない。

そこで決断を下したのがホール企業への就職だった。
今はパチンコ業界には逆風が吹いていて、他業界へ転職する人が続出している。最近の新卒者の7割はパチンコをまったくやったことがないままに業界へ入ってきている。
元々パチンコが好きで就職したわけではないので、業界の未来に陰りを感じると、第二新卒としてパチンコ業界から抜け出している。

スロプロは面接でスロプロだったこと打ち明けた。いわばホールの敵であるが、素性を明かした方が面接も盛り上がった。
ホール企業も新卒者の離職率の高さに懸念を抱き、彼のように本当にパチンコ・パチスロが好きな人材は魅力的に映る。
まさに、好きこそものの上手なりであり。好きなことだから、逆境にめげることもなく、どうやったら集客できるかを考えられる。
まさに、今までは自分は客の立場なので、どういうことをされると嫌になるか、ということも分かる。
スロプロからスロ専の店長になっている人も少なくない。

現在は複数のホール企業と面接中だ。入社が決まれば、続報でお知らせしたい。どんな人材に成長していくか定点観測もしたい。

以上

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